オーストリアの国旗は、1230年にオーストリア公であったバーベンベルク家のフリードリヒ2世(喧嘩公)が、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に対し反乱を企てたときに制定されたものである。デンマークの国旗やスコットランドの旗などとともに、現在まで使用されている世界最古の国旗のひとつとされる。 第3回十字軍に参加したオーストリア公レオポルト5世が敵の返り血を浴びて全身赤く染まったが、ベルトのため腰の部分だけ白く残ったという故事が有名である。ただし、実際は十字軍以前から使われていたらしく、レオポルト5世の母親のテオドラ・コムネナの実家であるコムネノス家に由来するという。オーストリア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国時代は黒・金2色のハプスブルク家の旗が国旗であり、赤・白・赤の現国旗は戦闘旗として使用されていた。また、オーストリア=ハンガリー帝国時代はハンガリーの国旗と赤・白・赤の旗を組み合わせたものが商船旗として使われた。1918年の第一次世界大戦敗戦に伴う帝国解体により、第一共和政の国旗として復活した。 その後、1938年にナチス・ドイツとの統合で廃止されたが、第二次世界大戦のドイツ降伏直前の1945年5月に復活した。現在の法的根拠は、1984年制定の「国章・国旗法」。 政府旗は中央にオーストリアの国章が描かれており、政府庁舎などで掲揚される。
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